双子2組のお父ちゃんが語る☆NICUに通う日々。NICUの過ごし方。

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NICUをご存じですか?
新生児集中治療室をNICUと言います。
Neonatal Intensive Care Unit
の略だそうです(^ ^)

予定日より早く生まれた赤ちゃん(早産児)
小さく生まれた赤ちゃん(低出生体重児)
病気の治療が必要な赤ちゃんなどが
入院する集中治療室です。

もう一つ、GCUというのがあります。
これは、新生児回復室のことで、
Growing Care Unitの略なのです(^^;)

NICUでの治療を乗り越え、
おうちに帰る準備をしている
赤ちゃんが入院します。

普通の新生児室とは違い、
専門の医師や看護師が24時間体制で、
治療やお世話をしてくれるのです。

初めてのNICU。

うちの娘たちは、
上の双子も下の双子も小さく生まれたので
NICUにお世話になりました。

下の双子は生後3週間で家に戻れましたが、
上の双子は1042gと 722gで、
特に小さかったので、入院も長く
姉が178日、妹が251日と
長い間お世話になったのです。

娘たちが入院した病院は、
NICUには、両親しか面会はできない
という決まりがありました。
小さく生まれ、危険な子も多いので、
少しでも菌やウイルスが入らないよう、
という上からの決まりでした。

初めての面会。
最初にドアを開けると、
靴を脱ぎ、スリッパにはき替えます。
次の部屋では、キャップとガウンを着て、
手荷物は全てロッカーの中へ。

中へ入ると、まず手洗いをしっかりと。
手の洗い方も看護師さんが教えてくれます。
そしてさらに中へ入ると、
保育器がたくさん並んでいるのです。
そして、その部屋でも手を洗います。
厳重な体制に安心感を覚えました。

いよいよ子供のところに行くと、
保育器の中で、たくさんの管につながれ、
鳴き声も上げられない娘が、
となり同士で並んでいました。

皮膚もまだ完全にできてはいない、
小さな小さな娘を前に、看護師さんが
「お父さん、触ってあげくください」
と言うのです。
触っても大丈夫なんだと、
保育器の手を入れるふたを開けて
恐る恐る手に触ると、
かすかにギュと握り返してきたのです。
生きてる!
とつくづく感じた瞬間でした。

妻は、帝王切開の後だったので、
子供が生まれた次の日の面会でした。
子供の姿を見て驚かないように、
私が見たことを事前に伝えておいたのです。

私が押す車いすに乗り、
妻が娘たちと会った感想は…
「可愛い!」というものでした。
やっと生きている目の前の娘たち。
しかし、お腹の中に長い間いた
娘たちの姿が目の前にあることに、
たまらない愛しさを感じたというのです。

男親には分からない、
深いつながりを感じました。

医師から今の状況の説明があり、
とにかく大きくなるまで、
また呼吸器が安定するまで、
NICUの中で処置をしていくこと。
そして、今は少しづつ体重が落ちている
段階であること伝えられました。

え、ただでさえ小さく生まれた娘たちが、
少しづつ体重を落としている!
心配する私たちに、看護師さんが
「生まれてすぐは体重が落ちるんですよ
 余計な水分などが出ていきますからね」
と丁寧に説明してくれました。

病室に戻った妻は、
「今、私が頑張れることはこれ」
と必死に母乳を絞り出しています。
初乳を少しでもたくさん飲ませたいとの
思いでした。

出産後の1週間前後の母乳は初乳と言い
赤ちゃんの成長にとって大切な栄養と、
免疫を高めたり、消化器官の抗体など
赤ちゃんが育つ上でとても重要なのです。

妻が入院している間は、
毎日、NICUの娘たちに会いに行きました。
親がいても何もしてあげられることは無く、
横で姿を見つめるしかありません。

その周りでは、四六時中アラーム音が
鳴り響いています。
赤ちゃんの血中酸素濃度が低くなると
それを知らせるアラーム音が鳴るのです。

看護師さんは、アラームの鳴る所へ行き
様子を見ます。
その他にも、おむつを替えたり、
ミルクをあげたり、処置をしたりと
大忙しです。

たまに自分の子のアラームが鳴ったりすると
すぐに危ないことも無いのでしょうが、
看護師さんの姿を呼び止めたり(^^;)
分からないだけに不安になるのです。

NICUのベットが並ぶ入り口には、
NICUを出て大きくなった子供の親から、
たくさんのお礼や現状を伝える手紙が
貼ってありました。

子供の写真とともに
「先生や看護師さんのおかげで、
 1歳の誕生日を家で迎えられました。」
「今ではこんな事もするようになりました」
みんな、感謝の思いが溢れていました。

それは、元気に育っているという現実を
不安を持ちながらNICUに通う親たちに
伝えるためのものだったのだと思います。
今を頑張れば、こんな未来があると
教えてくれていたのです。

本当に、いろいろなことに心を配り、
子も親も支えようとしてくれる姿に、
今、考えても
感謝の思いでいっぱいです。

NICUに通う日々。

妻が出産から10日ほどで退院してからは、
NICUに通う日々が始まりました。
母乳を絞り、それを病院に届けるのです。

赤ちゃんは、栄養や免疫の上からも
母乳で育てるのが良いと言われました。
しかし、母乳が思うように出ないと
困っているお母さんも大勢いて、
その場合はミルクをあげてくれるのです。

妻は、おかげさまでたくさん出ました。
「こんなに出る人も珍しい」
と看護師さんに言われていました(^-^)
妻曰く、「家系」なのだそうです。

定期的に搾乳機で母乳を絞り、
母乳パックに入れて冷凍します。
それを保冷パックで病院に届けるのです。

それまで、搾乳機があるということも
母乳パックというのがあることも、
まったく知りませんでした。
しかし、搾乳機があるのとないのとでは、
大変さがぜんぜん違うんですね。
一日何回もだから、楽をしないとね(^ ^)

病院までは、
車で30分弱、電車で4・50分の道のり、
それをほぼ毎日通っていました。
そして時間が無い時は母乳を届けるだけ、
時間がある時は、子供たちに声を掛けて
一緒の時間を過ごしました。

NICUの赤ちゃんは、ほとんどが
保育器の中です。
細菌などから、赤ちゃんを守るとともに
体温調節がまだできない赤ちゃんを、
保育器の中で温度と湿度を管理しながら
36~36.5℃に保ってくれているのです。

また、口から母乳を飲むことが出来ないので
口から通した管で、母乳を流し込みます。
さらには呼吸も自分ではできないために、
酸素を肺に届ける管も入れていました。
子宮の中に近い環境を作っているのです。

赤ちゃんが、子宮の中で当たり前のように
育っているということは、本当に
凄いことなんだと、つくづく感じました。

その他にも、いろいろな数値を測るために
たくさんの機械と線でつながっている。
そんな娘たちのそばで、
「今日も無事だった」と感謝し、
「なんとか無事に育ってほしい」と願って、
毎日を過ごしていました。

看護師さんにはよく、
「どんどん、声を掛けたり、笑顔を見せたり
 してあげて下さいね。」
と言われていました。
親の声や笑顔が情緒を育むというのです。

周りには他の赤ちゃんの親御さんもいるので
初めのうちは少し恥ずかしかったのですが、
そのうちに慣れてしまい、
子守唄を歌うまでになってしまいました。

それからも、少しづつ大きくなるたびに、
子供を抱かせてくくれたり、
おむつを替えさせてくれたりと、
忙し最中の手を止めて、看護師さんは
いろいろと心を配ってくれました。

子供達が生まれて3か月が経ったころ、
姉は2848g、妹は2199gになっていました。
保育器も、上のカバーが外されて、
いつでも触れられるようになっていました。
普通は、2000gを越えると退院を考える
というケースが多いようですが、
娘たちは、呼吸が安定しなかったので
退院とはなりませんでした。

私達も、気持ちが先に出て、
呼吸の管を抜いたらいけるんじゃないかな?
などと話していたりもしましたが、
今思えば、アホなことを言っていました。

経験豊かな医師や看護師が、
毎日の数値の状況を見ながら
退院はまだと判断しているのに
落ち着いて考えれば分かることでした。

毎日、NICUに通うのが日課でしたが、
ある時、看護師さんが
「お盆はどうされるんですか?
 実家に戻られたりするのですか?」
と尋ねてくれたのです。

これまで夏は、妻の実家へ行っていましたが
今年は子供たちも入院しているので、
行けるとは考えてもいなかったのです。

しかし、看護師さんに声を掛けてもらい、
「子供達が帰ってきたら、忙しくなりますよ
 少し息抜きされたらどうですか」
「母乳さえ多めに届けておいてもらえたら
 大丈夫だと思いますよ」
と話してもらったのです。

妻と話し合い、子供たちが帰ってきた時に
心も万全に迎えられるように、
実家でリフレッシュすることにしました。
本当に温かい気配りでした。

目先のことに必死になっている時に、
状況が見えている人からの、広い視野での
一言は、大きいなと感じました。
そして、そういう声を掛けられる人間に
ならなければなと感じたのです。

子供たちの5か月検診の頃、
いよいよ姉の方が退院を考えていこう
という話になりました。
やっと管が取れて、
呼吸が落ち着いてきたのです。

GCUでの過ごし方。

退院が見えてきた姉の方は、
NICUの隣、GCUに移りました。
退院までの準備をする部屋です。

GCUはNICUにくらべて明るく、
そこにいる赤ちゃんも、大きいのです。
いろんな管もつながって無く、
サチュレーションを測る線だけがあります。

赤ちゃんらしい泣き終えも聞こえ、
雰囲気も明るく感じます。
ちょっとした仕切りを越えただけなのに、
NICUとは張り詰める緊張感が違うのです。

面会に来ている親御さんの表情も
もちろん違っています。
いつでも抱こうと思えば抱けるし、
哺乳瓶でミルクをあげる姿もあります。

これまでは、届いた冷凍の母乳を温めて、
看護師さんが哺乳瓶で飲ませてくれました。
しかし、家に帰るとお母さんの乳首から
おっぱいを飲むようになります。
そのために、慣れていく練習もするのです。

どれだけ練習しても、おっぱいから吸えず
哺乳瓶でしか飲めない子もいます。
うちは、姉はおっぱいから飲めましたが、
妹は、病院での時間が長かったせいか
哺乳瓶でしか飲めませんでした。

子供たちが寝ているベットも違います。
GCUは、普通の新生児室のベットと同じで
保育器ではないのです。

うちの子がGCUに行った時には、
4500gになっていたので、部屋の隅に
普通のベビーベットが置かれ、
そこに寝かせてもらっていました。

GCUでは、沐浴の練習も始まります。
赤ちゃんは抵抗力が弱いので、
ベビーバスなどで身体を洗うのです。
退院した時をイメージしながら、
どの親も楽しそうにしていました。

そんなことをしながら、私の中には
いつも引っかかるものがありました。
それは、妹の方です。
なんとか姉と一緒に退院させたいと
思っていたのです。

今思えば、なぜそんなことに拘っていたのか
分からないのですが、姉の退院を遅らせても
一緒の方が良いと固執していたのです。

普通に考えて、それぞれの成長、
それぞれのタイミングがあるのが当たり前。
なのに、一緒にスタートを切らせたい
という思いが強かったのかもしれません。

もし妹の体調が万全になるのを待ったら、
大変なことになっていたと、
今はそう思っています。

姉の方は、生後6か月を迎える少し前に、
GCUを卒業することが出来ました。

その後、姉が寝ていたGCUのベットに
妹が酸素の管を付けながら寝かせてもらい、
生後8ヶ月ちょっとの退院までを
そこで過ごさせてもらいました。

今振り返ると。

NICU、GCUに通っている時は、
とても長かったように思います。
また、力が入っていたようにも思います。

心配しながら日々を送っていたので、
子供達も頑張っているのだから
親も頑張ろうと思うことは大切です。

しかし、もう一方で、
退院してきてからが大切だし、大変です。
病院では医師も看護師もいてくれます。
その方々を信頼して、任せて、
親は母乳と笑顔と声を届ける。
それを心がけたらいいんだと思います。

そして帰ってくる場所を整える。
それは環境も、親の心も準備する。
これが大切だと感じています。

退院してからすぐの検診の時。
医師から「子供達、笑いますか?」
と聞かれました。
長い間、NICUにいると笑わない子が
多いということなのです。

看護師さんは一生懸命やってくれますが、
やることがたくさんありすぎて、
1人の赤ちゃんに関われる時間は
限られています。
まずは命を守ることが大切ですから。

実際、長期入院していた妹は、
笑いだすのが遅かったです。
ちゃんと笑えるようになるかなと
心配したりもしました。

子供が笑うのも、当たり前ではない。
感情を表現するのも当たり前ではない。
つくづく感じています。

いま子供が笑う姿、泣く姿、
わがままを言う姿を見ても思い出します。
NICUに通った日々を。
そして、お世話になった医師や看護師に
心から感謝をしています。

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