双子2組のお父ちゃんが語る☆発達障害の娘を持つ親として。幼稚園期より。

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子供が生まれてきた時、
外見に明らかな違いが無ければ、
その子の障害に気づくことは無いでしょう。
特に一人っ子であったり、
最初の子であったならなおのことです。

うちの場合、双子で比較する対象があったり
生まれた時に白質軟化症と言われていたり
明らかな成長の遅れがあったので、
発達障害があるのだろうと思っていました。

しかし、そういった状況が目の前にあっても
いつか追いつくのではないか
そんな望みを持って育てていたのです。

初めて外の世界を経験する2人。

発達の遅れがある子を受け入れてくれる
幼稚園や保育園が少ないなか、
市立の幼稚園に入園することができました。

これまでは家の中で、過ごすことが多く
発達が遅れていると言っても
今の成長の段階が当たり前になっていたので
それほど実感はありませんでした。

しかし、幼稚園に入園してみると
一般的な成長をしている子供との差を
目の当たりにすることになります。

我が家の上の双子は3月生まれです。
生まれてくる予定日は6月でした。
妊娠7か月目で産まれてきたので、
早生まれになってしまいました。
ひとつ上の学年になってしまったのです。

小さい頃の一年はとても大きく、
ただでさえ小さく生まれた子達が
ひとつ上の子供と一緒に学ぶのですから、
体の大きさにしても、精神的な発育にしても
歴然とした違いがありました。

発達の遅れが無いと思っていた姉の方も
周りとのコミニケーションが上手く取れず
最初のうちは妹の付き添いのはずの妻と
一緒に過ごすことが多かったようです。
何をするにも自信が持てず、
どんどん内向きになっていきました。

晴れの舞台の発表会や運動会も、
人前に出るのが嫌だとかくれてしまい、
いつも先生に抱きかかえられながら
ステージや競技に連れてこられていました。

一方、発達の遅れのある妹の方は
もう一人支援が必要のな子供と2人に
専属で担当の先生がついて下さり、
まさに手取り足取り過ごしていました。

何をするにも先生がそばにいてくれる
という信頼関係を築いて下さり、
安心感と肯定感から、できないながらも
いろいろなことにチャレンジしていました。

最初はおむつをしての登園でしたが、
自分の思いを発することができるようになり
トイレで用を足すようにもなりました。
こうしたいという気持ちを
少しづつ表現できるようになったのです。

初めて家を出て外の世界を経験する2人。
その船出は対照的なものとなりました。
いきなり自分より大きな友達に囲まれ
みんなと同じように過ごす姉の方は、
毎日、泣きながら幼稚園に通っていました。

よく「そうじゃない方」と言います。
この場合は、発達障害じゃない方ですが…
同じ双子でありながら、片や先生がいつも
そばにいてくれて何でも一緒に取り組める。
しかし、大きな発達の遅れが見えないために
みんなと同じようにを求められ孤立していく
姉の方は大変だったと思います。

この頃から、発達障害じゃない方の姉に
しっかりと目を向けて、心を掛けていこう
と感じるようになりました。

通わせてもらって良かった

幼稚園には2年間通いました。
最初の一年間は、いやいやの娘たちを
なだめすかしながら送っていきました。
送ったかと思えば2時にはお迎えです。
早い日は12時に帰ってきました。

家では下の双子が1歳でしたから
まだまだ手がかかります。
毎日をバタバタと過ごしていました。

只々、毎日をこなすように幼稚園に
通っているようでしたが、
子供達は団体生活のなかで、いろいろと学び
成長していました。

姉の方は、寄り添ってくれる先生と共に
お絵描きや虫取りに喜びを見出し、
少しづつ前向きに通えるようになりました。
先生が、ポイントカードを作ってくれたり
目標を一緒に考えてくれたりすることで、
気持を引き出してくれたのです。

自分の気持ちを伝えられない姉も
その先生には気持ちを伝えられるようになり
先生が周りの子供たちとつないでくれて
一緒に遊べるようにもしてくれたのです。

少しづつ自信をつけてきた姉は
2年目の生活発表会では、みんなと一緒に
ステージでダンスを踊ることも出来て、
大きな成長に私たちも驚かされました。

残念ながら運動会の時は、たくさんの歓声に
緊張して、動けなくなってしまいました。
結局、自分の出番も先生に抱きかかえながら
ゴールまで連れて行ってもらいました。
今でもその時を思い出しますが、本人も
笑いながらそのことを話しています^^

発達障害を持つ妹にとっての2年間は
常に担当の先生と一緒の幼稚園生活でした。
妻と先生は、いつも相談をかさね、
親の気持ちにも寄り添ってくれていました。

今の妹の状況を丸ごと受け止めて、
その中で伸ばせるところを見つけ
少しづつ伸ばしてくれました。
成長の時期もあったかと思いますが、
話す言葉の数も増えていきました。

「発達が遅れているならなおのこと、
 団体生活の中で学んだ方が良いですよ。
 必ず伸びてくると思います。」
と入園を受け入れてくれたことを
つくづく感謝しました。

発表会や運動会など、みんなと同じように
取り組む行事では、周りについていけず
目立ってしまうことも多くありました。
しかし、本人はいつも喜んで笑顔でいます。
頑張っている姿に心を打たれました。

同じことができなくても、そこに向かって
一所懸命に取り組めたらいい!
楽しく喜んで頑張ればいい!
そんなことを感じさせてくれました。

親の元を離れて親以外の人間関係をつくり、
団体生活の中でルールを覚える。
社会性を身につける第一歩となる幼稚園。
本当に通わせてもらって良かった。
先生方に感謝ばかりです。

また、小学校に上がる準備をする
という意味合いもある幼稚園ですが、
発達障害の子にはさらに重要となります。
それは、小学校に上がる時に、
支援学校に行くのか、養護学校に行くのか、
それとも地域の学校の支援学級に行くのか。
判断する手助けをしてくれました。

病弱や肢体不自由、知的障がいなど
それぞれの症状に合わせて学校があり、
子供の状態を見ながら、どこに行くのが
良いかを決めなければなりません。
出来れば地域の支援学級に行きたいけれど
子供の状態によっては、受け入れられない
ということもあるのです。

時にはハッキリと話してくれたり、
それぞれの学校の見学を進めてくれたり、
地域の支援学級には一緒に行ってくれたり。
様々なサポートをしてもらい、
進むべき学校を決めることができました。

いま振り返っても、感謝の念がたえません。

卒園式を迎えて

2年間を締めくくる最後の卒園式!
娘たちの成長した姿に感動しました。

たくさんの人がいる中でも、
1人で出ていけるかな?
返事ができるかな?
家で何度も練習した歌を
大きな声で歌うことができるかな?
いろいろな心配をしていました。

終了証書を渡される娘たちは、
緊張しながらも精一杯の返事をして、
園長先生の前に進んでいました。
そして、証書を受け取ると、
胸を張ってみんなの間を歩いてきました。

その姿を見つめながら、
これまでの歩みが走馬灯のように思い出され
胸がいっぱいになりました。
発達障害を持つ妹の方は、役目を果たせた
喜びを満面の笑顔で表していました。

何度も何度も練習していた歌も、
頑張って歌っていました。
「虹が虹が 空にかかって
 君と君の 気分も晴れて
 きっと明日は いい天気
 きっと明日は いい天気」
何度も聞かされて覚えてしまった私も、
ビデオを撮りながら口ずさんでいました。

とっても小さかった娘達は
本当によく頑張ったと思います。
泣きながら通った日々も、
心を育てるうえで必要だったと思います。
それを受け止めてくれた幼稚園に、
先生方に感謝です。

親も子供と向き合いながら、
親としての心を育ててもらいました。
感謝の念がたえません。

発達障害の娘を持つ親として。

今は発達障害を持っていても
いずれは追いつくだろう。
そんな思いを持ちながら過ごしていました。

しかし、幼稚園に通い周りの子供との
歴然とした違いを目の当たりにする時、
皆と同じようにとはいかないと感じました。
事実を受け入れたのです。

それと共に、
同じことができなくても、そこに向かって
一所懸命に取り組めたらいい!
楽しく喜んで頑張ればいい!
娘の今を丸ごと受け止めて、
伸ばせるところを伸ばしてあげたい。
そう感じるようになりました。

さらに、発達障害じゃない方の姉にも
たくさんの不安があり、その気持ちを
丸ごと受け止めて、寄り添っていこう。
「そうじゃない方」の心を察しながら
目を向けていこう、心を掛けていこう
と気づくことができました。

たくさんの方々に関わってもらい、
たくさんの方に心を掛けてもらいながら、
娘たちは成長し、親も成長しています。
私たち親子も、たくさんの方々に
関りながら心を掛けられるように、
人の心を温められるような生き方を
していけたらと話しています。

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